読書感想文 『アスクレピオスの杖』 浅谷 祐介(著)
医療用人工知能『アスクレピオス』が選んだレシピエントは思いもよらない人物だった。想像を超える選択に、人々は戸惑い、感嘆する。
『サイトカインストーム アスクレピオス』がおもしろかったので、その前作に当たるこの本を手に取りました。
本作のモチーフは心臓移植のドナー(提供者)とレシピエント(移植希望者)のマッチングになります。これは、現実社会では選択基準をベースに医師、コーディネータが判断していますが、本作ではこの選択基準および判定を人工知能『アスクレピオス』に委ねる近未来の世界を提示しています。本作が示す医療革新はすでに現実のものになりつつあり、その成果も続々と報告されています。例えば、前立腺がんの再発に係る予測精度は、医師よりも医療AIの診断のほうが高いという結果が出ています<https://www.riken.jp/press/2019/20191218_2/index.html>。医療用人工知能が身近になるのもすぐでしょうね。
本作では、『アスクレピオス』の判定理由がわからないために大騒動につながっていきます。これが人工知能(深層学習)の課題の一つであるブラックボックス問題です。深層学習(ディープラーニング)では入力情報をある近似を通して答えを出力しますが、この近似がブラックボックスなのです。その正体は簡単に言うと統計です。ディープラーニングは過去の経験から統計的に確からしい未来を予測しているに過ぎません。つまりディープラーニングはどんなに高精度になっても(人間が間違えるのと同様に)間違える可能性を秘めている、ということなのです。そのため間違いがあってはいけない領域では必ず人間による理屈付けが必要になるんだと思います。人工知能はまだ人間のようにこの世界を数学的・物理学的正確さで説明することができないのです。これが人間の現時点での優位性なのかもしれません。本作ではこのような人工知能の課題を実例で示してくれますので、身近な問題として感じることができました。
創薬に人工知能を使うというのも各メーカで取り組まれていますし、人体モデルも実現する日も近いと感じました。人工知能の判定に右往左往する人間社会の未来が想像できておもしろかったです。
全体的にとてもおもしろかったのであえて気になったところを挙げておきます。
以下ネタバレ注意ですよ。
『アスクレピオス』は判定前に人体モデルを使うのですが、これが『アスクレピオス』の自発的行為だったとされています。『アスクレピオス』が自ら意思を持ってしまっていることになってしまい技術面と心理面から違和感が残りました。全般にリアル指向な近未来SFでしたので、人工知能が意思を持つというのは少しフィクションに寄ってしまって残念だったなというのが技術面。もう一つ、臓器移植というナーバスな状況下で今回のような人体実験的な判定に意思がこもるのは怖いなと思ったのが心理面です。わたし的には、人体モデルを使うプロセスが事前トライで実装されたままになっていて『アスクレピオス』はレシピエントに紐付けされた人体モデルをただ機械的に実行した、というケガの功名的な締め方のほうが好みかな、と思いました。
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