読書感想文 『存在しない絵についての修士論文』 椎名 要(著)
美術史専攻の大学院生葉子は、実習先で祖父母の家が描かれた油絵を見つけた。懐かしい思い出が浮かび上がると同時に、今となっては不思議に思う記憶も甦ってくる。この絵は誰が描いたのか? 祖父母と画家にはどんな関係があったのか?
主人公の葉子は、実習先の博物館で段ボールに入れられて廃棄待ちになっていた絵画に興味を持ち、そのなかの一つの作品に自分の知っている風景が描かれていることに気づきます。祖父母の家ですね。無名の画家と祖父母をつなぐ鍵がその絵画で、誰がその絵を描いのかなどの謎解きがメインストーリーの短編です。もちろんその謎解きもおもしろく読みましたが、裏テーマ(と勝手に思っている)創作物のキュレーションのほうも考えさせられました。
この小説内にも書かれているように、世の中には星の数ほど絵画があって、さらにその絵を描いた画家も同じだけいて、ただそのほとんどの絵と画家は誰にも顧みられることなく、知らぬ間に忘れ去られていくという虚しい現実がこの世界では普通にあります。無名の画家たちがそれぞれ思いをぶつけて描いた渾身の作品でも、評価してくれる人がいなければ段ボールに十把一絡げに突っ込まれて廃棄を待つことになるわけです。
絵画に限らず創作活動も同じで、その創作物を収益化できるのはごく一部で、ほとんどはこの小説内に登場する絵画と同じように無価値として捨てられる運命にあります。そのように捨てられていく創作物にも、その背景には人生の機微や波乱万丈のドラマが隠されているはずですが、創作物が捨てられると同時にその背景も霧散してしまいます。夢幻の世界ですね。美術においてはアートキュレーターがそのような作家や作品を掬い上げてくれるのでしょうが、それにしても世にくすぶっているクリエイターのなんと多いことか。この小説でも、無名画家が主人公の目に留まって掬い上げられたのは、その絵に主人公の祖父母が関係していたからでした。そう思うと、クリエイターには、実力はもちろん、同時に運も必要なのでしょう。こういうと、その運を引き寄せるためにもセルフブランディングしろという声が聞こえてきそうですが、わたしはその意見にはいつも違和感を覚えます。果たして創作の目的とは何だろう、と自問自答するわけです。金が欲しいのか? 名誉が欲しいのか? もちろんもらえるなら両方とも欲しいところですが、わたしにとってそれは創作の一丁目一番地ではないと信じています。創作するとき、気を付けないとすぐに承認欲求が頭をもたげるので、初心を忘れないようにしたいですね。
などなど、自分の創作への考えを投影しながら読みました。おもしろかったです。
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