書評 『バート・マンロー スピードの神に恋した男』 ジョージ・ベッグ(著)
みなさんは、アンソニー・ホプキンス主演の『世界最速のインディアン』(2005年)をご存知でしょうか? タイトルだけ見ると、アメリカ先住民のインディアンが徒競走で世界記録を出す、みたいなストーリーを想像するかもしれません。でも実は、インディアンというバイクのお話なんです。この映画は、ニュージーランドの片田舎に住む心臓病持ちの67歳のおじいさんが、インディアンというアメリカ最古のメーカーのビンテージバイクを魔改造して時速300㎞以上でかっ飛ばして世界記録を樹立する、というストーリーなのです。え? フィクションでしょ? という声が聞こえてきそうですが、なんと実話です。わたしはこの映画を封切りと同時に観に行きまして、恥ずかしげもなく映画館で涙しました。映画で泣いたのは、後にも先にもこの作品だけです。この映画の主人公バート・マンローの伝記が本書になります。
本書の作者は、バート・マンローと同時期にバイクレースに出場し、彼とも親交のあったレーシングエンジニアのジョージ・ベッグ。
本書はバートの生まれから亡くなるまでが書かれた伝記です。
バートの経歴をざっと抜き出すと次のようになります。
1899年 ニュージーランド南端インバカーギル生まれ
1924年 インディアン・スカウトでスピード違反(このマシンが後に世界最速になる)
1925年 結婚
1935年 時速145㎞
1940年 時速194㎞(当時のニュージーランド記録)
1940~1950年ころ レース三昧のバートは妻に愛想をつかされ離婚
1951年 時速215㎞
1956年 初めてボンヌヴィル・ソルトフラッツを訪れる(旅行)
1957年 時速230㎞
1960年 時速260㎞
1962年 ボンヌヴィル・スピードウィーク初挑戦にして883㏄クラス新記録樹立
1963~1971年 毎年ボンヌヴィル・スピードウィークに挑戦
(1967年にはSA1000㏄クラスで新記録樹立、この記録は未だに破られていない)
1975年 時速219㎞(ニュージーランドにて)
1978年 死去(享年78歳)
2006年 アメリカモーターサイクル協会 殿堂入り
スピードの神に捧げた人生ですね。そんな中でもハイライトはやはり60歳を超えてのボンヌヴィル・スピードウィークへの挑戦でしょう。本書でもこの挑戦を多くの紙面を割いて紹介しています。
ボンヌヴィルとはアメリカユタ州にある平らな塩平原のことです。平坦で広大(直線24㎞)なのでスピードを出すにはうってつけということで、年一回クルマやバイクのスピードトライアル大会が開催されています。この大会はコースを走って着順やタイムを競うレースではなく、純粋に直線でどこまでスピードを出せるかを競う世界最高峰の舞台であり、スピード狂にとっては聖地でもあります。
1962年、63歳のバートは一念発起し、ニュージーランドの片田舎からアメリカユタ州ボンヌヴィル・ソルトフラッツに向け自慢のマシンを持って旅立ちます。その『インディアン・マンロー・スペシャル』と名付けられたマシンは、40年以上前(当時)のヴィンテージ・バイクであるインディアン・スカウト(1920年製)を独力で改造したバイクでした。そのマシンでバートは、時速300㎞以上(平均時速288㎞)のスピードをいきなり出して883㏄クラスの世界記録を樹立しました(883㏄クラスはアメリカにしかないクラスで国際公式クラスではありません。なので世界記録はおかしいという人もいます)。
5年後には、SA1000㏄クラスで平均時速295㎞という速度記録を達成します。このときの記録は1000㏄以下の流線型バイク世界最速記録として今なお破られていません(バートに敬意を表してチャレンジする人がいないため、とも言われています)。ちなみに『インディアン・マンロー・スペシャル』のボンヌヴィルでの最速記録は時速331㎞(非公式)です。これはもう、そんなリアリティのないフィクションを書くな、と言われそうなレベルの偉業です。
彼は48歳のとき、生活のために働くことをやめると宣言し、バイクの改造に人生を捧げる決意を固めます。ガレージに引っ越し、バイク二台と住み始めるのです。彼は金にも名誉にも興味がなく、あるのはただ一つ、インディアン・スカウトを限界まで速く走らせること。その情熱だけで、当時彼は一日16時間もバイクに費やし、ついには個人には難しいシリンダーヘッドやピストンなどを自作するまでになります。情熱を傾ける対象があっても、彼ほど情熱を注ぎこみ続けることができるでしょうか? 自分に置き換えたとき、創作に対して彼と同じだけの情熱を傾けることができるかどうか……自問自答してしまいます。
映画の中では、バートは周囲のみんなに助けられてボンヌヴィルに辿り着きます。映画を観た人の中には「そんないい人ばかりなわけがない」という感想が出るほどですが、これらのエピソードもほぼ実話です(時期が違ったり脚色されたりしていますが)。どんな困難にも周囲の協力を得ながらやり遂げることができたのも、明るく前向きな彼の人柄のおかげなのでしょう。本書にはそんなエピソードも一杯書かれています。中でも一番涙腺にくるのは「スポーツマン・オブザイヤー」のエピソードでしょう。有り金はたいてボンヌヴィルにやってきたバートは、宿泊にも困るほどの金欠でした。そこで彼の情熱に感銘を受けた人々が寄付を集めるのですが、施しのようになっては彼の尊厳を傷つけると考え、急遽「スポーツマン・オブザイヤー」という賞を作ります。彼を第一回受賞者として表彰し、寄付金をその賞金という形で渡したのです。泣かせますよね。こういう助け合い、気遣いができるなんて、すごくステキなことです。全員がスポーツマンシップに溢れています。ぜひマネしたいと思いました。
本書はこういったエピソードや記録などを淡々と綴っていくというマニア向けの構成なので、バートの情熱をダイレクトに感じたいという方はぜひ映画を観ることをお勧めします。きっとあなたの情熱にも火を点けてくれることでしょう。
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